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【本】中島みどり / 白蓮華のように ―あなたに会えてよかった― (5)
一つ前の投稿の続きです。
自分の母親と重なる事が多く、非常に感動した本です。
他界する直前の不思議な出来事を思い出さずにはおれません。
臨終の数日前、母は何とか会話はできたものの、肉体的には立って歩く事もできない程衰弱していました。「来年まで生きておれないだろうなー」と漏らしていた本人が、目前に迫っている自己の死を自覚していたかは分かりませんが、少なくとも家族は医師から「あと何週間というレベルではない。今日、明日に、何がおきても良いように覚悟しておいて下さい」と言われました。皆、努めて優しく接することができたのは、早い段階で本人へガンの告知がされていたからです。
清々しい秋風が吹く9月半ば。厳しい夏の暑さの終わりと、短くも激しく生きた一人の人生の最期を連想させる、穏やかな晴天でした。
薬が効いているのか、ふと「風が気持ち良いねー」と呼びかけられました。
「???窓は閉まっているはずだけど?」
そう思いながらも、「気持ち良いねー」と言って窓を開けようと立ち上がったその時です。
「ちょっと!」と腕を掴まれました。その握力は、まるで健康体そのもの。それだけでも驚きでしたが、その後、私は我が耳を疑うことになります。夢をみているようだ、とはまさにこの事です。
上体を静かに起こし、再び母。
「気持ちが良いねー」
「そうだねー。ちょっと待ってて。今、窓を開けるから」
「開いてるでしょ? 今、そこをスーッと、、、。あー、いい風が吹いてきた。本当にありがとう」
「(いや、だからまだ開けてないんだけど、、、)」
「ありがとう。あわせてくれたんだね。」
「(は? 誰に? 幻覚?)、、、あ、うん、、、。誰だか分かる?」
「あんたが呼んでくれたの? 阿弥陀さん。来てくださったね。阿弥陀さんにあえたよ。ありがとう」
Σ(・ω・;ノ)ノ
「阿弥陀仏にあえたよ。ほら!ねぇ? ありがとう、ありがとう、、、」
麻薬(モルヒネ)によるものとも考えられますが、それまでの容態がウソのようにハッキリと力強く言うのです。その口調は健康だった時と変わりませんでした。そして、同じ事を何度も何度も、10分ぐらい止まりませんでした。
一体あの時、母に何が起きたのか?
本人にしか分からない事ですが、何か非常に強く訴えたいものがあったようです。
そしてもう一つ。いよいよこの世の命が尽きようとしている時です。午後3時の空がにわかに暗くなって、雷鳴轟き、強風と激しい雨で窓ガラスがガタガタ鳴る、不気味な空気に天候が急変した、、、と思ったら、雲間から一条の光が差し込み、あんなに綺麗なのは滅多に見ることはできない、と思えるクッキリとした大きな虹が現れ、瞬く間に青空となったのです。魂の抜けた死に顔は、心なしか微笑んでいるようにも見えました。
こちらの受け止め方、ただの気象現象、といえばそれまでですが、何か暗示的なものを感じ、6年経った今も鮮明に覚えています。
身近な人の死は恐ろしくて考えたくもないことですが、このような臨終に立ち会えたことは幸せなことだと感謝しています。
最後に、中島みどりさんのご主人の文章を引用して本書の感想を終えたいとおもいます。
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自分の母親と重なる事が多く、非常に感動した本です。
他界する直前の不思議な出来事を思い出さずにはおれません。
臨終の数日前、母は何とか会話はできたものの、肉体的には立って歩く事もできない程衰弱していました。「来年まで生きておれないだろうなー」と漏らしていた本人が、目前に迫っている自己の死を自覚していたかは分かりませんが、少なくとも家族は医師から「あと何週間というレベルではない。今日、明日に、何がおきても良いように覚悟しておいて下さい」と言われました。皆、努めて優しく接することができたのは、早い段階で本人へガンの告知がされていたからです。
清々しい秋風が吹く9月半ば。厳しい夏の暑さの終わりと、短くも激しく生きた一人の人生の最期を連想させる、穏やかな晴天でした。
薬が効いているのか、ふと「風が気持ち良いねー」と呼びかけられました。
「???窓は閉まっているはずだけど?」
そう思いながらも、「気持ち良いねー」と言って窓を開けようと立ち上がったその時です。
「ちょっと!」と腕を掴まれました。その握力は、まるで健康体そのもの。それだけでも驚きでしたが、その後、私は我が耳を疑うことになります。夢をみているようだ、とはまさにこの事です。
上体を静かに起こし、再び母。
「気持ちが良いねー」
「そうだねー。ちょっと待ってて。今、窓を開けるから」
「開いてるでしょ? 今、そこをスーッと、、、。あー、いい風が吹いてきた。本当にありがとう」
「(いや、だからまだ開けてないんだけど、、、)」
「ありがとう。あわせてくれたんだね。」
「(は? 誰に? 幻覚?)、、、あ、うん、、、。誰だか分かる?」
「あんたが呼んでくれたの? 阿弥陀さん。来てくださったね。阿弥陀さんにあえたよ。ありがとう」
Σ(・ω・;ノ)ノ
「阿弥陀仏にあえたよ。ほら!ねぇ? ありがとう、ありがとう、、、」
麻薬(モルヒネ)によるものとも考えられますが、それまでの容態がウソのようにハッキリと力強く言うのです。その口調は健康だった時と変わりませんでした。そして、同じ事を何度も何度も、10分ぐらい止まりませんでした。
一体あの時、母に何が起きたのか?
本人にしか分からない事ですが、何か非常に強く訴えたいものがあったようです。
そしてもう一つ。いよいよこの世の命が尽きようとしている時です。午後3時の空がにわかに暗くなって、雷鳴轟き、強風と激しい雨で窓ガラスがガタガタ鳴る、不気味な空気に天候が急変した、、、と思ったら、雲間から一条の光が差し込み、あんなに綺麗なのは滅多に見ることはできない、と思えるクッキリとした大きな虹が現れ、瞬く間に青空となったのです。魂の抜けた死に顔は、心なしか微笑んでいるようにも見えました。
こちらの受け止め方、ただの気象現象、といえばそれまでですが、何か暗示的なものを感じ、6年経った今も鮮明に覚えています。
身近な人の死は恐ろしくて考えたくもないことですが、このような臨終に立ち会えたことは幸せなことだと感謝しています。
最後に、中島みどりさんのご主人の文章を引用して本書の感想を終えたいとおもいます。
私は、妻が病気になるまで信仰というものに全く無関心でした。むしろ、昨今の新興宗教には呆れるばかりで、『病気が治る・このままだと不幸になる』などと人の悲しみ、苦しみ、迷いに巧みに付け込み、あたかも現世利益があるかの如く金品等を強要しているのには耐えがたき思いをしておりました。
しかしながら、妻は信仰することにおいて、この病気を治して欲しいとか、家内安全を願うとか、ましてや物欲をみたそうなどとは全く考えていなかったようです。
妻は親鸞様が大好きでいつも親鸞様の事を口にしておりました。
あくまで、妻にとっての信仰とは救われることであり、支えであり、目覚めであり、今日も一日生かされていたことへの感謝であったに違いありません。そのことが辛い治療にも耐え、病と闘いながらも、人生を恨むことなく、後悔せず、ましてや不幸を他人のせいにすることなく最後まで明るく、笑顔で生涯を感謝のうちに完(まっと)うすることができたのだと思います。いまでは妻がいのちに代えて教えてくれたことに対して感謝と喜びが生まれ、どうしようもない私を導くためにこの世に生まれてきてくれた菩薩ではなかったかと思うに至りました。毎日子どもたちとお仏壇の前に座り、仏様に手を合わせております。
我が妻みどりさん、私はあなたの死を決して無駄にはいたしません。ほんとうにありがとうございました。中島春好
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